執着しない事 〜ヨガの八支則【ヤマ・アパリグラハ編】〜
ヨガの八支則のうちのヤマ=人との関わりの中で慎むべき行為(基本的に人にされて嫌なことはしない)の一つ、アパリグラハ=抱え込まない・不貪についてです。
おはようございます川口市鳩ヶ谷の少人数制ヨガ教室「ひだまりヨガ」代表インストラクターのKumiko です。八支則、まだヤマの一つめですが、そろそろもういいよって?すみません。ヤマ編では最後なので、連続で記しておきます。
すでに大半が精神論ですが、ヨガ哲学は、私たちが忘れかけていたり、迷っていたりするときに、何かの道しるべになったり、迷わずにいれるようにごくシンプルにできています。情報や物で溢れていて、逆に欲しいものがわからなかったり、必要なものは持ってなかったり、そんなときにヤマの最後の「アパリグラハ」を実践してみましょう。
本日はヤマの5つめ「アパリグラハ」抱え込まない・不貪。についてです。執着がなくなった時、どうして自分が生まれたか?なんでこの体を持っているのか?過去と未来のつながりを知る知恵を理解するという教えです。
断・捨・離?
お気付きの方もいるかもしれませんが、アパリグラハは現代的には「断捨離」です。断捨離の元が「アパリグラハ」だと思います。
持つ能力や、お金もあるけど、必要のないものを見極めて敢えて持たないようにすること。今の自分に必要なものだけを持ち、抱え込んだり、無駄なものを所有したり執着したりせずすっきり生きることです。
ここでは、ものだけじゃありません。人間関係もそうですし、人の持ち物や、自分の体や他人の体に関するとらわれや執着もそうです。例えば、「タレントの〇〇ちゃんのような「目」の形がかわいいから、あんな風に自分の顔を整形しよう。」というのは他人の体と自分の体に執着していることになります。自分の持っているものに満足できず、他人のものに執着しているにすぎません。ヨガ哲学では体は「物」として捉えられています。このような考えを払拭し自由になるために「アパリグラハ」を実践するのです。
人間関係では自分にとって必要な人やそうでない人を見極めて、携帯電話に溜まってある、もう関わり合いたくない人や自分にとって必要のない人も削除し、持たないようにします。考えすぎる人は、考えることもシンプルにして余計なものは抱え込まないようにします。
必要でないもの、意味のないものを持たないようにし、自分の前にやってきた物事を喜んで受け入れ、本当に必要なものや出来事に満足することで、物や人や考え方と客観的に調和が取れるようになります。物事や、人間関係や持ち物を整理して、必要なこと以外に心を奪われなくすることが「アパリグラハ」の実践になります。
私はもともと物への執着心や購入欲が強く、欲しいと思ったらすぐに購入し、散財してしまう性格です。貯蓄ができず、給料日前はいつもカツカツの生活をしていました。いいなと思うとすぐにポチっと購入していたり休みがあったら買い物に出かけたり、アウトレットや安いものやバーゲンが大好きで同じような服や雑貨を抱え込んでいました。買う事でストレス解消になると思っていたので、買ってしまって後悔することもあり、欲しかったと思っていたものを手に入れても心はなかなか満たされないものでした。「買物依存症」と言われてもおかしくないくらい買い漁り後悔し、自分を責めては物で部屋が溢れて乱れていました。
もしヨガをしていなかったら、いまだ買い物癖はずっと永遠に続いていたと思います。自分自身の性格からして、ゴミ屋敷まっしぐらだったろうなと思い強烈に震えます・・・
今は定期的に「アパリグラハ」を意識し実践し「断捨離」を繰り返し、物と心のデトックスを地道に続けています。気を抜くと、また物が溢れてきてしまいますので、本当に必要かどうか考えながら買い物をしています。無駄なものが減れば、本当に必要なものが見えてきて、また必要なものや欲しいと思ったものは、不思議なもので執着心が強かった頃よりも必ず手に入るので、今は生活に満足しています。
無駄なものや人間関係に頭を悩ませて、不満やストレスを抱える代わりに、過去・現在・未来をつなげる因果関係を理解して行くそうです。
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私はまだその知恵を理解できていませんが、いろいろ手放すと「すっきりして楽になる」ということは間違いないです。片付けも楽だし、服を選ぶのも少ない方が楽だし、部屋も広くできるし、もっともっと手放して楽したいです
心が淀んですっきりしない場合、部屋は物で溢れていませんか?
物や人間関係や自分自身の執着心から解放されて楽になってみましょう。ただ身の回りの必要でないものを見極めて捨てるだけです!
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